無料ブログはココログ

イベント情報

図書紹介

  • 図解でわかる心理学のすべて

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月

ネモ例会「火器・ロープ講習」その1

65427211540qz2 89427212254qz5

87427212254qz3

絶好のピクニック日より、ネモクラブの活動開始です。

今日は調理や明かりに使う器具、三角巾、ロープの使い方講習と、野草てんぷらやアウトドアデザートの楽しみについて、遊びながら学びました。

たった一枚のバンダナが野外生活を支えるたくさんの仕事をしてくれることや、ロープが緊急時に命を救うことなどを時に真面目に、ときに笑いの渦のなかで教わることができました。

ブランコやロープ渡りなど、どんどん遊びが発展していくのを見ると子どもたちが目を輝かせています。それはお父さん同士も、あれこれアイデアを出し合って遊んでいるからなんですね。やはり戸外では大きな遊びができて元気が違います。

数枚ずつ紹介します。

森林浴

080426_143001 080426_143401          

今日は明日のネモクラブの活動に備えて、バルタン先生と家族で基地で打ち合わせ。

明日のお昼のメニュー「野草のてんぷら」の食材の下見に山歩きをしてきました。バルタン先生いわく「今の山の様子を昔の人は『山が笑う』と言ったんだよ。」と教えてくれます。にぎやかにさまざまな花が咲き始め、緑が萌え始めています。

ケヤキの枝のトンネルをくぐると光が透けて美しいので一枚写真を撮り、だんだん深くなる森の道でも写真を撮りました。

春休みに訪れた熊野古道に劣らぬ美しい林道です。

明日の活動のレポートをお楽しみに。

夢分析

アトリエプシケーでは「夢分析」というタイトルでお話しました。雑誌や本の「夢占い」にとどまらず、夢が教えてくれる自分の希望や意識できない空気を無意識からのメッセージと捉えて、互いに夢の解釈などをしました。
家族に恵まれた幸せな生活のはずなのに、夢に元彼が出てきて目覚めて焦った!という話を多くの人が体験していてびっくり。でも安心して下さい。元彼はわかり合えなかった対象の象徴。つかみ損ねてはいけないと今大切な関わりについて夢が教えてくれているそうで、決して浮気願望じゃないそうです。
金縛りは身体が眠り脳が冴えてる状態。幻覚や幻想も子どもには現実との境界が分からずおこりがちという話も出ました。楽しかったですか?
感想や今後へのご希望をお寄せ下さい。

SCのお仕事

昨日はSASさんのご招待に預かり講演を行いました。レジュメに合わせて概要をまとめてサイトに上げていただいているようなので逆にご紹介させていただきます。

私がスクールカウンセラーをしているということをご存知の方もそれがどんな仕事なのか、よくわからないのが当たり前とも言えます。

守秘義務が大変大切な仕事のため、お話できることに制限が多いと考えてどうしても説明不足、PRもしにくい仕事でもありますが、よく想像されるような、生徒や保護者との一対一の面接は仕事のほんの一部であることを今回のお話でご理解いただけたようで、私としても嬉しかったです。

人と人をつなげることが一番大切です。聞いたお話をどのように伝えて、解決できることを解決するのか、何を聞いておくに留めるのか・・・細かく説明することは難しいですが、自分の考えとしては、生徒のためになるかどうか、が判断の基準です。

私はそのために配置されていると自覚しています。

詳細はSASさんのブログでご覧ください。レジュメはご希望があれば差し上げることができますので、ふぁすにお問い合わせください。

http://yaplog.jp/sas-friend/archive/111

バルタン先生

方々でご活躍のバルタン先生ですが、今回は亀山市レクリエーション協会発行の会報に紹介されているのでご案内します。

http://www.shimin-kyodo.sakura.ne.jp/katudonews/recreation/recnews12-4.doc

昨年のわいわいキャンプではキャンプファイヤーや新聞紙を使った遊びなど、日常経験することが少ない遊びをたくさん演出くださいました。

ネモクラブでは、アウトドアが好きな親子に、安全上の知識を教えてくださったり、おいしく食べられる野草を実際に料理して食べさせてくださったり、興奮の連続です。

今年もじっくり楽しめるよう、バルタンさんとメインスタッフで計画して、ご案内しますので、お楽しみに。

グローリーの倉庫できました

080420_101801 080420_112601

080420_123101

お待たせしました。家族草野球チームグローリーのホーム、三滝グランドにみんなで買った倉庫が完成しました。

朝から頼んであった倉庫を引き取り、家族総出で組み立てです。ひな壇みたいなもんでしょうと言ってみても、やはりここは男の人の出番ですね。パパさんは大工の三郎の息子。今じゃドライバー片手の電気屋さんですが、よく見たらみんなボルトとナットで作るようです。ただし値段の割にサイズが大きいだけあって、そうとう薄っぺらなトタン板でできています。海岸縁の我が家ではひとっとびしそうな代物。どんなもんでしょうか。少し心配です。

でもこれで、救急箱や一輪車までも入れられるし、ベース、ボール、それに忘れ物も、預かることができます。きっと中の棚とかは、また古市コーチが作ってくださるでしょう。

完成した倉庫の横のグランドは、日曜で学生かどこかの会社の若い男の子たちが、楽しそうに野球を楽しんでいます。ながめながら少し遅めの弁当を食べました。彼らのさわやかな笑い声が心地よい。お天気も最高。

勝つための野球ではなく、みんなで同じ時間を楽しむためのスポーツとして、三滝のグランドはグローリーだけではなく、たくさんの人たちに愛されてる場所なんだと知りました。いつかわが子らも、今日の若者たちのように、礼儀を守り、心から好きな仲間たちと一緒にこのグランドで野球やスポーツを楽しむようになることを願わずにいられません。

いつもうまくいくときばかりではないけれど、一人一人がささやかな力を合わせて、グローリーが育って行きます。今後ともよろしくご理解とご協力をお願いいたします。拝。

明日香・吉野社会見学 その3

Kc380039001001 Kc380041002

明日香を出て再び山に入っていくと一つ目のしめ縄が道路を明日香川を横切って掛けられています。

「結界だ!」と叫ぶとうとうとしかかっていた子どもたちが飛び起きます。小さな集落を過ぎてしばらくすると二つ目のしめ縄が。「石がある。しめ縄がある。」とここでは車を飛び降りて立て札を読みに行きます。明日香側のが「男綱」こちらは「女綱」と分けて、二つのしめ縄で川や道を通って入ってくる悪いものから村を守るために掛けてあるとありました。以前読んだ本にも確かに2本のしめ縄の話がでていましたが、本当に見てなんだかぞくぞく。特に子どもたちはロールプレイングゲームや妖怪物アニメなどで「結界」などという言葉に慣れていたりするのですが、日常の生活には無縁の物。子どもたちは本物をみて沸き立ち、大人のほうは「いったいどんな魔物を恐れてこんなしめ縄を張り続けているのだろう。」とまたまた妄想で興奮気味。

やがて次第に道も細くなり時間的にも心細くなってきました。春休みの熊野旅行に同行しなかったパパさんはできたら熊野まで走りたかったようですが、明日の予定もあり、それから吉野へ少しより道して松阪から三重県に戻ることにしました。

花の吉野山という憧れの言葉がありつつ、あまりにも混雑するということでチャンスがなかったのですが、季節も時間も少し遅かったため、車で上ることができました。にぎやかな中千本にはほとんど桜はなく、ほんの一瞬上千本のピンクの山が臨めました。

花より団子の子どもらはカーブに揺られてすっかり夢の中。家に着いてから「亀石に行ったのか?」と尋ねられる始末でした。

こんなに興味が尽きない地方は珍しいですね。マイブームで盛り上がっているということは・・・今年の勇者の儀式は・・・いえいえ、ホンの独り言。

以上気まぐれ放浪記でした。

明日香・吉野社会見学 その2

Kc380035002_3  Kc380038002001_2                    

神社から山を降りて明日香に入り、「万葉文化館」を見学。歴史資料館と思い込んでいたら、日本画や万葉の歌などを素材としたミュージアムでした。思いつきで行ったのでちょっと勘違い。でも最近「和同開珎」より古い「富本銭」が発見された場所などをみることができました。社会の教科書は自分が習った頃とはずいぶん内容が変わっていますが、時の流れが歴史を作っているんだなと実感。

そしていよいよお楽しみの酒船石遺構の見学です。パンフレットには何かの祭祀を行う場所であったようだと書かれていますが、近くの見学者についていたボランティア説明スタッフの方は「まだ何をしたものか、正確にわかっていません。ここへ見学に来て、いろんな説を言う人がいますが、ここでは言った人が正解。反論を証明するものもありません。」

すると人って不思議なもので、それぞれに思い思いの推論を言い始めます。子どもは子どもなりに。答えのない謎について考えるのはとってもロマンがあります。少しへそ曲がりな私などは「うちの畑の排水路みたいに、ちょっとした思い付きのいたずらだったのかも。まさかこんな大騒ぎになると思わずに。」

硬い石に彫られた溝は何を流したものだったのか?酒説、麻薬説、はては水銀や毒薬まで車に乗ってもあれこれと楽しく想像を語り合うのでした。

ちょっとおたくな話をすると、この地域は金属やガラス細工の工房だったことは発掘で明白です。金銀も扱われていたそうですし、地学的に近畿地方には中央構造線という鉱脈があちこちある場所で、平安時代には陰明師がこの鉱脈を利用して薬となる水銀や毒薬となる砒素などを使って暗躍していたことも知られています。麻薬のような物を工房の片隅で加工したり、祭祀の折に使用して集団催眠を誘発していたのかも・・・というのが家族のマニアックな推論でした。

さらに旅は明日香から吉野への最短古道「芋峠」へ。

自然科学と歴史と、すこしオカルトな雑学を総動員する明日香から吉野の旅はとってもスリリング。

明日香・吉野社会見学 その1

Kc380033001 Kc380034002 毎年春には明日香を訪れるのが20年近い家族行事になっています。春の明日香は蓮華畑が美しく、空気も良くて最高に美しいのです。お弁当を持って行ったり、レンタサイクルであちこち回るのが楽しくて、続いています。

今年は少し早めに今日行ってきました。途中で社会の資料集で見ていて、いつか訪ねてみたいと思っていた談山神社の標識が目に入り、訪れてみることに。

645年蹴鞠の席で中大兄皇子が飛ばした靴を手渡した中臣鎌足が手を組み、蘇我入鹿を謀殺して皇子が天智天皇に即位したのが、有名な大化の改新です。

談山神社とは、蹴鞠で知り合った皇子と鎌足が暗殺計画を練った場所だそうで、入鹿の首が中に舞う、有名な絵巻物の実物が展示されていました。

絵巻物の他には、鎌足が改新の功績によって藤原姓を賜って以来、現代まで脈々と続く藤原の権勢が紹介され、日本人の3分の1が藤原氏の子孫だということで、藤原系列の苗字一覧表があったり(ちなみに、「米田」は藤原ではありませんでしたが、私の旧姓「保田」は藤原でした。)、蹴鞠をしていた広場などなど、1300年以上前の日本の歴史の証拠となるものあり興味は尽きません。

これまで、聖徳太子の生まれた寺「橘寺」、日本最古の仏像がある「飛鳥寺」、天孫光臨伝説の「雷(いかづちの)丘」などと共に、明日香に行くと訪れた「伝板葺宮跡」は、大化の改新が行われた宮殿があった場所と言われて、そこで講釈をしては歴史を体感させるようにしていましたが、今回訪れた談山神社のある「多武峰山(とうのみね)」は石舞台古墳の真裏とはいえ、車でもなければとても行ける場所ではありませんし、相当高い山です。行ってみて実感したのは、「こんなに明日香から離れた場所でなければ計画を練るのが危険だったんだね。」ということでした。

しばらくして「談山の談って談合の談。」と気がつきました。和語では「かたらいやま」と呼ぶそうですが、血生くさい「かたらい」だったのですね。歴史はかなり血なまぐさいものです。それを学び、繰り返すまいと考えることはとても大切ですし、奇麗事だけで世の中が回らないということを、大化の改新を実感することで知って欲しいと思います。何が必要だったのか、なぜこんなことが起きたのか。教科書を読んで一方的に信じるのではなく、「都からこんなに離れた山の中で慎重に諮らなければならなかった陰謀と、それを歴史は正しいとした」という冷静な態度を持って欲しいと思いました。

門前町で素朴なこんにゃくの味噌田楽を食べ、絶対お値打ちな朝取りの椎茸を買い、明日香へと下って行きました。 

次回はあの「亀型遺構」と「酒船石」について。

別室登校について

しばらく個人的なコラムが多かったので、今日はスクールカウンセリングについてお話します。発達障害とスクールカウンセリングについての講演依頼をいただいたので、「特別支援」の中の、発達障害傾向を持つ生徒の現状についてはそちらでお話するとして、今日は本人に特別な発達障害の見られない生徒の不登校についてお話しします。

私が学校相談の仕事に関わって5年が経ちました。初めて勤めた中学校は県下一の生徒数を誇る大規模校だったので、生徒指導と相談部門が明確に分かれていて、別室登校のシステムがすでにほぼ完成されていました。

私はそこで、多くの生徒と直接過ごしてシステムと不登校について学ぶことができました。

その学校では、特別支援学級、外国籍生徒支援の教室のならびに一緒に、カウンセリング室が設けられ、教室を半分に仕切り、ミニサイズのホームルームとミニサイズの職員室と丸テーブルが置かれた相談室兼ランチルームがありました。

不登校に陥った生徒は親子でこの部屋を紹介され、通えるようならば学校生活をこの教室で過ごします。論議があるものの、定期試験もここで受験して成績評価をつけてもらいました。その結果3年間別室登校をしても高校進学できる生徒がいるほど、充実したシステムができました。

各自治体には「適応指導教室」という部屋があり、校区の中学に通えない子も丁寧な関わりの先生と過ごすことができます。同世代との関わりの結びにくい子や、家庭の事情が複雑で学校に通うことが難しい子も通うことができ、教育委員会の組織のため、定期的に学校と連絡してチャレンジ登校などの刺激をして、学校へ返していくシステムです。

私が経験した別室登校の仕組みは、それよりもさらに教室に近いため、生徒の気持ちが楽なので、本当に素晴らしいシステムと思いました。

スクールカウンセラーとなってその学校を離れていくつかの学校にお邪魔しますが、なかなかそこまでの対応ができる学校はありません。

第一に人材の問題、第二に教室の問題。不登校対策といいつつも人もお金も出ないので、なかなか専用の部屋を設けて教師を配置するという余裕はありません。

第三に教師の考え方の問題があります。教室に通えない一人の生徒のために教師が関わるのはおかしいと考える先生がいることも事実です。確かに特別扱いで税金の不公平な使い方と指摘されても仕方のない方法ではあります。保護者や本人に「うちのために先生方にお世話をかけて」という姿勢があれば、先生だって人の子ですから、熱い気持ちで接してくれますが、そういう家庭ばかりとも言えない世の中ですから、「普通の公立学校の教師はクラスという集団で一人つくものだ」と言う意見は正論なのです。

しかしそれでも実態としてはまだクラスに一人や二人は不登校がいるのです。

①発達障害系のコミュニケーションの困難で教室での関係が難しい生徒。

②家庭の事情(単身家庭では両親の話題についていけず不登校に陥る単身家庭の子)を抱える生徒。これは思春期になって自分の姿を見なおす時期に他人との違いを意識してしまうケース。

③思春期に発症しやすい精神疾患の前駆症状として学校でうまくいかない生徒。

④保護者が不在で、登校する環境にない生徒。

大きく分けるとこの中のどれかに当てはまることになり、時には①+②のように複合して現れることもあるわけです。

早くにそれを見抜き、教室に近い別室で、学校生活を送りつつ、時に家庭的なムードで本人の不安を和らげることができれば荒波のような思春期を乗り越えて自分で進んで行くことができるのではないかと考えています。

現在も難しい現状を承知の上で、別室登校の環境を作ろうと努力しています。今や特別支援という言葉は障害児だけのものではなくなり、すべての「特に気に掛けてあげなければならない生徒」のためにあると発想を転換すると、特別支援の仕組みの中で教室や人材や教材を工夫することができます。

教室のネーミングも「1組」「2組」というように用途に応じて使いやすいものに変わってきました。

これだけが正しい方法とは思いませんが、発達心理関係の講習でも、教育委員会系の研修でも、こうした取り組みの旗振りとなって欲しいと言われるのが学校現場の心理職。専門の立場から必要性を説いて行けというわけです。

私自身もまず、学校に通うことを薦めています。どんな形でも学校生活を送るということが大切です。教科学習だけでなく、社会性など人としての心理発達にも学校という集団が必要だからです。もちろん本当に休まなければならない生徒もいます。その子達に必要なことは「教育より前に」福祉的保護または、医療と私は考えています。

学校という教育施設の中でできることは限られていますので、それを最大限に生かせる方法を考えなければなりません。

菜園その3

Kc380030001001

実は畑作業は地道な労働です。はじめは誰もやりたがらない、腰の痛くなる退屈な単純作業・・・と思っていましたが、水はけを考えて水路を作ったり、効果的な畑地の使い方を考えたり、結構高等な作業が興味を引きます。

昔好きだったカナダの「RUSH」というロックバンドの「CLOSER TO THE HERT」という曲の中で「農作業は哲学だ。畑を耕すことは心を耕すこと」というような意味の歌詞があり、確かに英語の農業「agriculture」のカルチャーは文化ですものね。文化を興すというような語源があるのか、鍬で耕しながらついつい哲学してしまうことも・・・。

それから若者にはおおいに農業をさせるべき。みなぎる体力を農耕に発散すれば、その力が作物をうむということを学ぶでしょう。

作業療法として方々の施設や支援関係の学校でも取り入れていることも知っています。目に見える成果が得られる農耕は子どもたちに大変大きなやりがいをもたらすようです。紙上の成績に一喜一憂している現代の若者たちにもっとも不足している分野なのかもしれないと思うのですが、先の話題と同じで、いつのまに、一次産業は低次元な仕事と考えるようになってしまったのか、自分自身を厳しく問い詰めたりします。きっと「一次産業」という言葉の使い方が悪かったのでしょうね。これほど尊く地道な仕事はないのに、ペーパー試験の結果で判断されるような仕事を高等などと考えるようになったのでしょう。

晴耕雨読の言葉もやってみると本当に説得力ある名言です。我が家も晴れた日は畑で過ごし、雨の日は本を読んですごす生活を大変ぜいたくなものと受け止めるようになりました。テーマパークのように走り回る子どもたちと共に成長させてもらってるのは本当は私自身のようです。

菜園続き

菜園続き
安心安全な野菜を、たくさん食べたいと思っていたところ地続きの隣の畑の持ち主から声がかかり、試しに一畝おこしてすっかりハマって半年経ちました。おかげで野菜は買わずにすみますが、同じ菜っ葉が毎日続きます。
でも私たちが子どもの頃はまだそんな食生活が当たり前でしたよね。
トマトやなすや白菜、大根だって季節が決まってた。自分の子育ての時代になってスーパーに行くと、旬がわからないほど多彩な野菜や果物が並んでいます。
いつでも彩りよい食卓、レシピ通りに野菜が揃う、なんて豊かなのでしょう。その反面、偽物牛肉、鳥インフルエンザ、毒餃子、危険な野菜・・・子どもたちに何を食べさせたらよいのでしょう。そんな矢先に自家菜園のチャンスが訪れ、素朴で単調な野菜を工夫しながらいただく毎日です。干し大根や漬物など日本人はこんなふうに収穫を大切にしてきたんだと感じました。
菜園雑感はまだ続きます。

菜園

Kc380027001 風がぬるみ、日差しも強くなってきました。日もずいぶん長くなったよね。

我が家の家庭菜園はあれよあれよという間に雑草の畑に。結構な広さをお借りしていろいろな野菜を作っているので、お手入れも大変なんですが、自分で作った野菜はかわいくて、親ばかみたいに友達に配ったりしてます。苦いのやら、硬いのやら押しつけられて迷惑な人もいるかな。ごめんね。

家族でわいわいいいながら農作業もだいぶ慣れてきました。またたくさんのおいしくて安心な野菜を作って、公民館で無人即売やるのが夢です??

ご招待いただきました

いよいよSCとしての仕事も始まりました。たくさんの保護者、生徒、先生方が待っていてくださりSCとして嬉しい限りです。問題が解決するという目先のことだけではなく、永い生涯に渡ってもっとも必要なことを今ここで考えるということを大切にしていますが、今だけを考えるとつらいこともたくさんありますね。

自分としては相談室でお会いする方にもこのブログを見ていただきたいと思うので、発言には気をつけたいと思います。

お役にたててるのかなと車で帰るとき、考えます。厳しい状況の方には私が気休めを言っているように感じるかもしれません。少しの希望をあきらめないですごして欲しいし、大部分の子どもたちは自分のことをよく知っていて、ベストを信じるとそのとおりになることが多いのが不思議なくらい。私はすべての子どもたちの未来を信じているのです。その気持ちが何か、誰かを動かすのだと思うのです。

さて、4月22日SASさんというグループのお招きでお話に伺います。まさに「SCからみた発達障害の学校における現状」というようなシビアなテーマなので、学校によって異なる実情や、単に自分の力不足である場合などを正しくお伝えしていく責任を感じます。

何をお話できるのか、私に何が伝えられるのか、しばらくかかって考えてスライドを準備するつもりです。受け付けはSASさんなので詳細については先方にお問い合わせください。

鈴鹿自閉症勉強会SASさん。代表は亀田さん。読みがちょっとふぁすと似ててなんとなく親戚みたいな気がして嬉しいのは私だけでしょうかね。

http://yaplog.jp/sas-friend/monthly/200803/

お時間のある方はぜひ足をお運びください。

ママゼミでも十分緊張しましたので、知り合いが多いと固まっちゃうかもしれませんが、がんばります。よろしくお願いします。

アトリエ雑感

本年度のふぁすのアトリエがスタートした。出会いのエクササイズとしてグループで線画を描くというもの。今回五名と四名の二枚の絵が出来たがこれが誠に素晴らしい。一枚は例えるならピカソ。のびのびと画面一杯に描かれた「おでん」の串刺し様の絵。ユーミンが串を描けば美香さんがどんと真ん中に卵を刺すというダイナミックな絡みも伺え、溢れる個性のぶつかり合いと繊細な距離感。
もう一方は言うなればユング的曼陀羅のような統合感のそのタイトルも「万華鏡」。丸三角四角が重ねられた絵に、奥行きが見える人見えない人があり、視覚が脳の処理によって(経験や感覚に影響され)見える物が違うというまさに心理学的個人差が明確に。
アトリエをコーディネートする自分にも想像すらしなかった驚きや発見の連続であった。ふりかえりのなかでそれらが次々と語られるのだ。
素朴に疑問。なんでみんなそんな凄いのですか?
20年以上前に恩師がLMを始める前におっしゃった言葉は
「皆さんに釣った魚は与えません。私は魚の釣りかたを教えます。」
その精神は受け継がれ、今次世代を育てる母親達が学んでいる。自意識過剰だった自分のようなお粗末な人格はなく、穏やかで笑い声に溢れつつも自己を伝え、互いの意欲を引き出す言葉がけを行える。
アトリエでの気づきを子どもや夫との関わりで是非生かして下さい。私もおおいに学ばせていただいています。

大人も学ぼう

51ea3r6y03l 親の学びということが言われます。子育てはこれまで子どもと子どもをとりまく環境に働きかけるものと考えられていましたが、急激な社会の変化によって、大人が大人に、親になることが難しくなっているため、体験や学習の機会を増やして行こうと考えるようになりました。親も学べというと抵抗もありますが、親がいろんな意味で真面目に取り組み勉強している姿はそれだけで子どもによい背中を見せていると思うんですね。

こどものお世話でいらいらするよりも、親が自分自身の土俵を持つことをお勧めしています。ふぁすでも手軽な学びの場を提供していますが、これは「勉強は机に向かってするもの。面白くないもの」と思い込んでいる方に「学ぶって自分の身に置き換えて考える楽しさだよ」と知って欲しいために作っている体験学習型の勉強会です。ふぁすのアトリエで気づきの楽しさや知るということの快感に目覚めた方は、単位を集めて学位をとったり資格を目指すような生涯学習へと向かって行って欲しいなあと思います。

写真はふぁすで同じ志を持つものがアトリエよりも強い意欲で集まる勉強会で使う教科書としてみんなで買った本です。心理学全般を紹介しているものです。

ところで資格なんかいらないという方も見えます。ささやかに誰かの役に立ちたいと。本当言うと資格なんてどうでもいいことです。しかし社会的に認められた職を手に入れようと思うと意外ところで資格が足かせになってしまっているのが世の中だということを、私も痛感しています。

自分自身はふぁすでお話していても、スーパーで買い物していても、家族といるときも、SCの職場にいる時もあまり変わりません。発言などはだいたい同じ。自分が楽しみながら誰かのお役に立てたらという願いだけです。

しかし世間はそれでは通してくれないこともままあります。私が私であることと資格は直接に関係ありません。あまり意味がないのかもと思いつつそれでも努力するところに、ちょっと子どもたちの学校の存在のような複雑な思いがあり、それが今の自分にはとても大切なのかもしれないと考えています。

「なんで学校いかなきゃなんないの?」もちろん学校だけがすべてじゃないよ、さて、あなたはその次になんと答えますか?

新学期ストーム

雨があがり強い風、春のお天気は気まぐれですね。
ご進級、ご入学おめでとうございます。
今日は一日遅れで娘の中学の入学式でした。新しい教科書をどっしりと受け取り、慣れぬ制服の肩に掛けて歩く娘がいじらしく、また頼もしく見えました。
車をおいて実際歩いてみると、荷物の重さや一日のうちの寒暖の差などが進級した子どもの体力を奪っていることが分かります。提出物や持ち物など、親子で忙しい日々。お腹が痛かったり、頭が重いと、新学期のスタートはなかなかやり過ごせないように思います。新学期早々休むと更に不安になりますから、しっかり休み、気分転換を上手くして元気を保つことが一番大切だと改めて思います。
夜早めに就寝して、野菜もしっかり取る食事を心がけよう!
それから実感するのは意外とパパさんが理解ないこと。春休みの延長でのんびりしてると思い込んでるので、コマコマと大変さを伝えましょう!
それではちょいと一休み。

「あの世」に近い場所

「あの世」に近い場所
春休みの思い出に南紀地方に出かけました。一足早く桜は満開で穏やかな旅でした。
世界遺産で話題の熊野古道も少しだけ歩くことができました。
写真は「大門坂」那智山の神域の境目となる夫婦杉。樹齢は八百年。行き交う旅人を見守り続けてきたのですね。
熊野を訪れるにあたって予習したところ、熊野は都から見て地の果て。
祀られている神々はイザナギ・イザナミ、大国主、スサノオ。つまり日本を作り代替わりして都からはしめだされてしまった神々と言えます。
ここから先はあの世とばかり樽に詰められ海を漂流して仏となる補陀洛渡界という行もあったと聞くので、冥府に近いイメージがあったにちがいない。
ほんの数百年前まで、人々にとって「あの世」は目に見える距離だったのかもしれないと気付きました。
人はいかにもはかない存在であったのでしょう。
私たちは健康に産まれるのが当たり前、病気は医者が治して当たり前、学校に行けば勉強ができて大人になって進学するのが当たり前と、いつ頃から考えるようになったのだろう?と首をかしげました。
満開の桜にうっとりしながらも、熊野の海が人の命の境界線を示してくれた深い旅でした。

なっちと

なっちと
今日はブログの使い方について考えていた。サイトのリニューアルが一番の目的とはいえ、コラムを書かなきゃブログにならない。三日坊主の自分にできるのか?まあ気取らなければ毎日でもエッセイは書ける。うちうちでネタにしてもらえれば。
と言うことでスタッフの希望者が出入りするクラブハウスのような存在になればと願う。荒らされないよう、覗かれないようパスワード制にしようかな。
春爛漫の桜の下で語り合い。母二人に子ども六人。はた迷惑な花見ではあるが、今後のふぁすの在り方について貴重な対話の時間だった。
やはりなっきーが音頭とる限りふぁすは心理学ベースであり、言葉に依るところ大だ。日本語の力もおろそかにはできないと思う。私が何かを語るとき一つの言葉には必ずその言葉を選んだ理由があると思って欲しい。言葉や知識に頼り過ぎという批判があったとしても耳を貸す必要はないということ。
例えば私が「心」について話す時、私が定義する「心」とみんなが個々にイメージする「心」が同じかどうかを検証する方法はない。あくまで今ある言葉に頼る以外には方法がない以上、言葉にせずに理解できると考えることこそ「幸せな勘違い」に他ならないということ。
私たちは多かれ少なかれ互いに誤解と勘違いでやりとりしてるにすぎない。せいぜい一つの言葉をよく吟味して語るべきだ。
幸いこれまでに500回以上心理面接をしてきたが発言に関するクレームは出て来なかった。私と話をしてみて「なんだかな」と的外れを感じた人はいるかも知れないが、その人の人格を損ない傷つけることはなかったと思う。
同時に28人と対戦し全勝したチェスの名人の話。何手先まで読むのかと聞かれ「読める手は一回に一手だけ、ただしその一手は必ず正しい」私の言葉の使い方も理想は同じ。
言う重み、言わない重み。アトリエで磨いて行きたい。

わいわいキャンプⅢ決定

わいわいキャンプⅢ決定
わいわいキャンプⅢ決定
昨日は冷たい北風の中、関支所にキャンプ場の抽選に行きました。時間に余裕があったので旧東海道の街並みを少し歩くと美しい地蔵堂に桜。おお、これぞ日本の風景!と写真をパチリ。
抽選会ではたくさんの団体が来ていましたが、ネモクラブ作戦会議の読みが当たり、42団体中22番というくじ運にかかわらず第一希望の日の会場をゲット。
夏休み明けにキャンプなんて変ですか〜?意外と穴場の時期ですよね?運動会練習疲れもまだないし。8月の土日に予約は集中だけど、祭りだ盆だと親戚付き合いや帰省に振り回される休み中より9月初めですよっ!
今年のわいわいキャンプは9月6、7土日です。
日時場所が決定したところで早速「勇者の儀式」の脚本に入らなければ。今年は何にしようかな。
楽しみにしてくれる子どもたちの目の輝きを忘れられなくて。今年はみんな大人ももっと楽しんで欲しいな!
しかしなんでこんな企画が出たんだったかな?たまたま役者が揃ったんだったかな?
年を重ねるにつれ、プレッシャーもあるんだけど下手な芝居にも盛り上がってくれる子どもと仲間たち。
日常の意外性に飢えてる現代人。もっともっとドラマチックな毎日を送って欲しいなぁ。
うちの家族なんか本当に毎日テレビ小説より波瀾万丈な生活だ。駅について自分の自転車のロック番号思い出せないとか、野宿ツアーで広島原爆ドーム見学行くとか、家族麻雀で小学生の娘にメンタンピンドラ3振り込んじゃうとか。
さあ今年は何をやろうかな。

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »