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共に楽しむということ

久々にSCとしてのコラム。少し前に車の宣伝で「物より思い出」というキャッチコピーがあって、「なるほど、うまいこと言うなあ。」と思った覚えがありますが、

最近つくづく思うようになりました。

私たちの世代が親になってきて、同世代の親御さんの相談を伺うにつれ、特徴が見えてきました。それはもちろん、物の豊かな時代に育った親子ということです。今この瞬間も世界のあちこちで災害や飢饉に苦しんでいる人がそれこそ何百万人もいるというのに、「食べるものがない」ということが想像できない。「ご飯がない」というと子どもたちは「じゃあパンにして」と言いますよね。マリー・アントワネットと同じ感覚です。でもそれは親の方もあまり変わりませんね。生きるか死ぬかという経験をしたこともなくて、なんとなく高校行き、好きな人と出会って結婚して、家庭があるのが当たり前という人生を送ってきている。その中で「自分らしさ」や「生きること」について執着をもってきた人は、それなりに人生に意味を見出してそれを実行しているでしょうが、なんとなく飢えることもなく(というのは我々の両親世代が結構に蓄財してくれているおかげで)、みじめな思いをすることはないから、いつまでも生活は安定して続くと信じているところがある。

その延長には、離婚しても生活が成り立つので単身家庭が増えているということが指摘できると思います。生活できなければ我慢しただろう家族が実家に頼って離婚するケースが増えてます。子どもは思春期にそれについて問い直してきて、立ち止まるという場合が見られます。まあ標準的には、親が気づいて分かれた相手に連絡をとり、「お父さんとお母さんは事情があって分かれたけど、お前の親であることは変わりないし、いつでも会えるよ」と直接話してもらうと子どものなかで「自分は生まれてきて(=生きていて)良いのか」という疑問に答えを見つけることができます。

でも中には「親になる」という意味があまりよく分からないままの親もいます。それは単身家庭に限ったことではありません。お金だけ稼いでいれば(それだって稼がないよりはいいのですが)子どもが育つと思い、物を与え、連れ歩きもするけれど、子どもは少しもありがたがっていない。日本特有の悩みです。それをなぜかとじっくり考えてみると、おそらく「伝え方が下手」ということなのでしょう。その場で一緒に楽しむ人と人としての交流が欠けていると、父親は交通機関の運転士と同じになってしまって、子どもサイドでは「父親不在家庭」と認識されているということなのでしょうか。

心ここにあらずの親よりは、向かい合ってくれる他人の方が子どもには人として必要な存在となるので、思春期も頭ごなしな会話だとそっぽをむいてしまいますが、向かい合って心底本人の将来のために心配して叱る親の言葉はきちんと聴きます。どんな子もSCの自分と一緒に座って話をして心を閉ざしている子はいません。必ず話をしてくれます。きちんと聞いていてくれると分かれば、理解してもらいたいと人間なら思うものなのです。

子どもがコントロールできない・・・言うことをきかない・・・と悩んでお見えの親御さんは、自分がロボットのように相手を思うままに動かすことを考えてませんか?相手に意思があり、自分と異なる方法を考えて行動する人間であるということを、忘れてませんか?

相手が何をしたいのか、どうしたらできるのか、一緒に考えて動く気持ちを示せば、いつでも対話できます。

「物より思い出」と連れ歩いても、子どもが楽しんでいて親も一緒に話題を見つけて楽しむために行くのだ、ということを忘れないでください。逆に親の都合でつれ歩いたとしても、そこに話題があれば時間を共有することを子どもが楽しみ、それは思い出となるということです。

どこにも行かず、おやつを買って一日ゲームをする、ということも我が家ではあります。一緒にゲームを楽しみ共通の話題を持つことにおいて、決して高価な旅行に劣るものではありません。子どもの成長に必要なことは親身で厳しさとやさしさを併せ持つ、おとなの親と時間を過ごすことなんです。

一昔前は貧しくて働かなければ食べられなかったので、子どもと向かい合う時間がなかったのに、なぜ今はこんなふうなのか、また考えていきたいと思います。

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