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「笑われますよ」(ユーモアの話2)

「恥」というのは日本人の特徴的な心理だと言われます。「そんな格好で歩いたらご近所に笑われる」「泣いたらお友達に笑われるよ」と日常的に恥を刺激して集団行動への適応をさせてくるのが日本の伝統的な躾でした。

今日は「笑われること」が恥ずかしいことなのか、考えてみたいと思います。

昨日の話の中で一般的なスクリプトからはずれるから笑うと書きましたが、発達障害者は、言葉のまとまりの概念をミスキャッチすることが多いようです。いわゆる「ボケ」として愛される場合もありますが、「KY」として眉をひそめられる危険もあります。これは本人が意図して行っているわけではないため、笑いの本質をついて自然に笑いが出た場合でも、本人がとまどうということもあります。

実はコメディのなかにはこれを応用したものもかなりあります。チャップリンの「殺人狂時代」は「一人を殺せば殺人者だがたくさん殺せば英雄になる」と(実際には非常な皮肉が意図された脚本ですが)主人公は行動の意味をミスキャッチして殺人狂になろうとするが、また行動が他人とかみ合わないため失敗ばかり、というところが面白いのでしょう。ミスター・ビーンも一般の人がしないような行動をしてしまう、というシェマの破壊的行動が持ち味です。チャップリンやローワン・アトキンソンがアスペルガー症候群だったかは、明らかでありません。(アトキンソンはそうだと文献で見た気も)彼らは自分がこっけいな行動をしていることを承知で、ユーモアそのものを芸としているから、素直に笑えます。

でも最近のテレビでみる日本のコントなどは、「はずす」連れに突っ込んだり、いじめたりして笑いものにしてそれでうけを取るような、本質的なコメディとは違う笑いを見ます。勘違いを笑うのでなく、勘違いしている人を笑う、となると、足の不自由な人の歩き方を笑うことと同じなので、最近のバラエティを見ていて苦しいと書きました。

その元には「他人に笑われることは恥ずべきこと」という日本人の心理があります。

今でもかなりの親は子どもを躾ける場面で「笑われますよ」「怒られますよ」という他人の視線を気にした言い方をします。子どもは他人の視線ということに敏感になり、物事の本質ではなく、他人の評価を気にする人間になります。そして「笑われる者は悪いもの、劣った者」と考えるようになります。

笑われる役のコメディアンは自分が商売でやっているのだから構いませんが、他人をあざ笑うことを教えていくことにはさびしさを感じます。古典落語を聴いていると、必ず勘違いな弟子が事件を引き起こしますが、一方で困りながらも年長者がそれをなんとか一般的な道理に乗せようと働きかけるが一向にずれが直らない、という筋立てになっていて、困った弟子をあざ笑っていじめる話ではありません。勘違いを直そうと一生懸命になる年長者の姿のほうが滑稽に見えてくるのですが、そこにこの人物への敬愛を感じてほのぼのした快感を味わうことができるのでしょう。

学校でいじめに対応すると、あっけらかんと遊びだったと主張する生徒に出会います。私はテレビの悪い影響かなと心配します。他人を叩き、いじめるのをみんなで笑う、そんな笑いをユーモアだと教えてはなりません。

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コメント

子供の躾で、「怒られますよ。笑われますよ。」は、一度も使ったことがなかったので、逆に驚きでした。
我が家のルールは、食べ物(物を)粗末にする(扱うこと)と、人に迷惑をかけること(危険行為を含む)は、御法度。
誰かが怒るから、辞めさせる(例:電車で騒ぐ子供への注意で、あのおばさんが怖いから辞めなさいなんて、よく聞きます)のでは、なく、その行為自体が人に迷惑をかけるから辞めなさい。というのが、世界標準な指示の出し方だと思います。

恥という概念を刺激して、集団適応へもっていく、日本特有のやり方というのは、なるほどと思いました。


恥ずかしいからやめなさいと言う言葉が子どもの心をひどく傷つけると実感したのは、上の子が3歳半の時。寝入る時の指しゃぶりがやめられず、検診で「指しゃぶりを続けていたら下あごが出てくるからやめさせて」といわれ、その晩指しゃぶりをする子どもに「恥ずかしいからやめなさい」というと、もう”恥ずかしい”という言葉の意味が理解しているのか分からないが、指を加えたいのを必死に我慢して涙を流しながら寝て行った娘の姿は今でも目に焼き付いています。
それから「恥ずかしいから」という言葉は使わなくなりました。

しかし、他人に迷惑がかかるという意識よりも、恥ずかしいという気持ちが先に立ってしまう私は生粋の日本人のようです。
子どもが公共の場で騒いでしまうときは「他人に迷惑がかかるから静かにしなさい」と口では言いながら、内心、自分が周りからどのように見られているか、子どもを躾られない情けない親だと思われてないか、また、怖い顔して怒っていたら、なんて怖いお母さんなんだと思われやしないか、とそんなことばかり気になっていました。だから、他人からみて暖かな親子、ホンワカ家族を演出していた時期もありました。

特に上は女の子でおとなしかったので、その時は大きな問題にはなりませんでしたが、今になって人の目を気にするところが私によく似てきたので、今後どのように対応していけばよいか、思案中です。

下の男の子には、人の目などを気にしていられないので、公衆の面前でもおお声を出す事も多く、買い物途中でも叱りつけることもしばしば。
人の目という曖昧さよりも、社会のルールという明確なもののほうが、子どもには分かりやすのかもしれない、と今になって思います・・・

子どもを叱れない親が増えているとよく聞きますが、原因の一つとして、人の目を気にする日本人だから、というのがあげられるかもしれませんね。昔と違って核家族や転勤族が増えて、地域で子どもを育てる事が難しくなってきた現代社会の負の遺産!?なのかもしれませんね。

私の子育てもどちらかと言うと、なっちさんに近い、人目を気にする子育てだなぁと思いました。なっちさんのコメント中の記述と全く同じで、躾のよく分かった母親振りを演出したり、優しく見守る母親を演出したり。いつも指摘される事だが、自分の中に確実な枠というものがなく、叱る時、ルールよりは自分の感情が基準になってしまう(なので叱るというよりは、`怒る,ですね)。うちの子は他人の物(お菓子やオモチャ等)への執着が人一倍強く、貰えるまでつこく欲しがる。余所の子に余りそういう子を見掛けないので、心配なのと同時に、恥ずかしさを感じる。今日も似た様な出来事があり、つい、「そういうの恥ずかしいよ」と言ってしまった。
しかし冷静に考えたら、親にとって恥ずかしい存在の自分、と感じた子供が、自尊の念をもって生きていけるだろうか。理想としては、あなたにはこんなところもあり、あんなところもあるけれど、お父さんとお母さんの誇りだよ、と伝え続けたいところだが・・・。子供の行動が、自分の躾の結果であり、子供の行動への視線が、親の自分に対する評価であると感じてしまう、これは何でしょう。子供の事をまだ、自分の所有物と思っている証拠でしょうか??
ユーモアの話なのに、やっぱり真面目~なコメントになってしまいましたdownwardright

個人的には、園や学校そして、社会にでて困らないように基本的な生活習慣(きちんと食べる、寝る、身辺自立)とやっていいこと、悪いことをお母さんの育ってきた家庭のルールになぞらえて教えておけばよいと思います。

園、学校では、集団生活なので、イヤでも社会性やルールを学びます。お友達とのいざこざを通して、自分の要求が思い通りに通らない時泣いたり、やり返したり、お互い譲り合ったり、と他者の視点、自分を調整する力を身につけ、そしてコミュニケーション能力も磨かれ、発達していくのだと思います。

笑いという点では、いっちゃんやなっちよりも、私はきっと照れ屋で、まじめにまじめな話をするのが『恥ずかしい』からこそギャグでごまかしちゃうのかもしれない、とコメントみて思いました。
文末に「なんちて」とかいれて茶化すこともその一種ですもんね。

恥ずかしい、という気持ちについては、「自尊心」と合わせてアトリエで考えてみると面白いですね。ユーモアと恥・・・新たなテーマとなりそうです。

また躾けを通して他人を意識するタイプとしないタイプについては、1月28日「ライフサイクル」のところで基本的人格についてユングからみで少しお話できるかと思います。

ゆーみん家の子どもへの接し方、さわやかでいいですね。そばからテリーパパが結構他人視線気にしてるところとか、やっぱり夫婦で補いあってるから安定した子育てができるんですね。

来年度以降もますますアトリエ楽しみですsmile浮かんでくる様々な疑問を野放しにせずに、拾って頂けるので安心します。
ユーモア、「意外性」をヒントに最近やたらととばしてますが、イケてない事の方が多く、それこそ「恥ずかしい」くらい、板に付いていませんsweat02

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