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正論はくなら

学校の保護者懇談の時期だ。昨日から3日連続で3人の子の学校を回る。「懇談(ねんごろに話す)」なんて絶対嘘だ。学校教師からみた申し分のないお子さんの親以外は、注意を受け、否定されたような、どんなに頑張らなければいけないかを所信表明してくる場なのだといつも思う。

昨日訪れた娘の中学で若い男性の先生は、そういう気持ちにさせない素晴らしい教師だ。学業の面はカットするとして、娘の学校生活での態度について「集団規範に対して道徳的で献身的」と言うようなお褒めの言葉をくださったが、そのエピソードが

実は体育祭の出場種目きめの場面で、受験にナーバスな3年生が「勝ちたいが自分は楽をしたい」という発想で討議して話し合いが停滞した際に、うちの娘の正論・犠牲的精神の発言、つまり「自分が出たい種目を変更してそちらに回っても良い」という発言に対しても冷淡で中には「言い出してもできるのかよ」的発言があったということで、担任が介入したということだった。「僕としてはこんな状態ではいけないと間に入ったつもりでしたが、うまくまとまったとは言えず、お嬢さんを苦しい立場に立たせてしまって申し訳ないと思っています。」と仰られた。

クラスで話し合う時間すらなかなか取れない忙しい学校生活の中で、一人の生徒にそこまで目を向けてくれる教師がいるというのは期待もしていなかったので、胸が熱くなった。

娘はもちろんその話を家庭でしていて、勝ちに走らずみんなで一致団結できるよう願っているという純情な熱意を家でも語っていた。しかし自分がかばったつもりの友人にまで「きれいごと」と指摘をされたとショックを受けていたのも事実だった。私は笑って「そりゃ後ろから撃たれたね。」と言ったことを覚えている。

その時のことを振り返ってみると、娘の日常の態度を見られていて、言い出しは格好いいが言いっぱなしで最後までできなかったり、細かいことを丁寧にできなくて誰かが拾い仕事をしていてくれるのではないかと推察できる。正論は立派だが娘には遂行能力が欠けていることを指摘されたのではないかと考えた。つまり「人望がない」のである。年少者のリーダーならばそれでも回っていくが、中学3年ともなると互いに意識も高まり、批判の力も強いので、正論は本当に実力のある者が言うべしという不文律があるに違いない。

娘がもちろん「ええ格好しい」でした発言ではないので、担任はそれを理解して自分が守りきれない部分を詫びてくれたわけだが、その気持ちもありがたいが、今娘に必要なのは決めたことをきちんとやり通す意思の強さと実行力だと親として思う。それが外見の知性の高さと学業成績の実態のギャップを裏付けている。

「ま、つまり勉強してよい成績取ってれば、正論が通るわけさ」と皮肉って笑う母。しかし現実社会はそれが実態でもある。ここは崖から突き落とすようだが、本人に奮起してもらいたくてわざという。しかしそれを痛感したのも本人であろう。

「先生が知っていてくださるということだけで娘は十分頑張れます。本当にありがとうございます。本人の実力をつけさせます。」とお礼を言って帰宅した。帰り道の車のなかであれこれ、話をした。

男女共同参画にもつながるが、娘には「女が社会で通用しようと思ったら、男以上にできなければだめなんだよ。それくらい当たり前と思っていなければ認めてはもらえない。ハンデは悔しいけど歴然とした事実なんだから。ママはあなたが、社会で頑張るかどうかは押し付けたくないから家ではへらへらしてるけど、頑張りたいなら本当はママだってやるときはやっていると気がつかなきゃだめだよ。プレゼンやれと言われれば堂々とやる。仕事もきちんとする。それを『頑張ってます』と見せたくないところがママの美意識なんだから、鵜呑みにしちゃいけない。」

娘は黙ってうなずいていた。体格・性格・癖・好み・・・娘は似てくる。遺伝子は明らかに父親側なのに。母と娘のつながりはこんなに強いものかと改めて思う。こんな話ができるようになってきたことも嬉しくはある。

パリジェンヌを見て、本当のおしゃれを学び、自分なりの人生をどう描くか葛藤の真っ最中の青春を生きる娘を見て、まだまだ無限に近い可能性とそこへ至る道の苦難を、親として複雑な思いで見ている。

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