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ボランティアの正義

マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」を読んでいる。仕事で前頭葉が疲れている時は、考える読書はつらいが、眠る前に読んでいるとほどほど疲れて眠くなる。そんな読み方では正しく理解できないのかもしれないが、「正義」とは「良心」とは、考えるのが好きな私には興味深い。

そして考えるだけでなく実行するためにサンデルはわかりやすい例えや実社会での葛藤を引き出してくれて、これから本当に正義にしたがって行動する若者に貴重な書物だと思う。

その中で、自分のボランティア観と重なる正義や使命としてのふぁすの活動について考えてみたい。

サンデルはカントの「純粋理性批判」の著作から、カント哲学の言う「正義」について説いている。これは私や私の周りでボランティア活動をしている人たちのなかで度々交わされる議論と重なることが多かった。

ボランティアは職業ではないから、自分の余暇を使って自分の好きなことで、他人や社会に貢献すれば良い、というボランティア観と、NPOなどの社会的事業を主宰する立場のボランティアはむしろ「無料奉仕」状態になっても続けている人のボランティア観がまったく違う立場のものである。一緒にボランティアでやろうといっても、そこに必ず壁がある。

ふぁすでも本当はこの二つのボランティア観が存在してると思う。「無理しないで」とイベントスタッフや気軽にできる手伝いボランティアもいるし、企画スタッフとして行政と協働で研修会を開催するとわずかな収入の割には責任は大きくなる。

そのどちらのスタンスをとっても居られるところがふぁすの面白いところだ。私などは当然後者で、自分でも家族でも風邪を引いても休めない立場にいると自覚している。大きな声では言えないが子どもの具合が怪しいのでアトリエの前日に休ませて、当日は治して行ってもらったということもある。私自身はそういうやり繰り自体が家族を自立させていると信じられるから良いが、もしそれを強制されたら絶対続かない。

仕事としてSCをやっていると、当然面接予約は履行されなければならないから、風邪で熱など出ないよう自己管理をする。じゃあ、SMAPのバッグアップはボランティアだから休んでも良いかというと、やっぱり同じ責任を感じて休めない。

リーダーとして当然のことだと思う。9月から支援が始まり、自己都合で休んだことはもちろんない。収入はないけれどそれが社会事業であり私の使命だと信じるから。家族も理解してるので、「虐待だ。不良主婦だ」とののしりながらも、笑って協力してくれる。同じ正義感を分かち合う家族にしかできないことだ。

カントの言う正義とは「自分が心地よくてすることは正義ではない。自分に苦しくてもしなくてはいけないと自分の道徳観からする行動が正義だ」という。そしてしなくてはならないことが、たまたま好きなことだったら、それはOKだという。つまり基準が「自分にあるか、他人にあるか」ということだ。それでも苦手なことばかりは続かない。私もいくらしなくてはならないこととしても毎日どぶさらいはできないだろうと思うが、私には私にできる仕事でさせてもらえば良いと、それをボランティアでしている。

SCの仕事として保護者の相談は勤務の日に限定している。しかし支援の一環として、生徒の緊急対応としての面接は支援の日にすることを許容している。何も知らない保護者が「いるんならやってよ」とお叱りの電話をしてきたこともあったが

「支援の日は私はボランティアとして生徒のためにおります。」とお断りをした。そこで線は引かないと、今度は職業倫理に触れるからだ。もちろん何も知らない人にとっては同じことに見えるだろうし、どっちでもいいことだけれど。

苦しいと思う日も、当然ある。家が片付かず家族に申し訳ない思いで遅く帰宅することも多い。それでもそれが正義に基づいてやっている限り、胸を張り、一人ひとりの人と関わることに専念することができると思って続けている。

つらくてもやらなければならない家の片づけを休日にやること、これも正義だろう。明日は頑張って掃除します。

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