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「無意識と意識」から言葉による距離の表現

本日のアトリエ、皆様お疲れ様でした。

「無意識の意識」というタイトルのアトリエ。難しかったでしょうか。言い違いや勘違いという話題から、受け止め違いなど、日常のマナーや人間関係の微細な言い回しに話が及んでしまい、本当の意味でのタイトルがこなせたかというと自信がありませんが、ふぁすに足を運んで「損はない」という、ちょっと別な意味でもマニアックなアトリエになってしまいました。(汗

お昼に出かけたスタッフのうちうちで、「やはり日本語も勉強しなくてはいけないね」「敬語だね」と話してました。

敬語でも、変な使い方をすると、むしろ失礼になり、かといって単に覚えて使えば良いと言うものでもないですから、来年度は一度じっくり敬語も勉強してみるといいですね。

私は日常の職場が学校であることから、国語の先生とのやりとりも多く、良い緊張の場で過ごしているので、敬語への意識がだんだん高まっているようです。加えて会議などでは目上の人や年長者との会話が多く、「謙譲語」が多く使われるようになっているので、敏感になってきたのかも。

できる奥様にステップアップいただく(謙譲語)ために、ぜひとも、敬語を使いこなしていただくと(謙譲語)よろしいかと存じます(謙譲語)。

ご参考までに、敬語をまとめたサイトを見つけました(丁寧語)ので、ご覧(尊敬語)ください。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411930299

http://park2.wakwak.com/~lion/benkyou/kotoba-tukaiwake.htm

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127956412

ただ、前提となる「上下」の差の認識がずれていたら、敬語は意味をなしません。友達だからタメ口でいい?綺麗なお洋服を着ていても、言葉を発すると台無しというのも残念ですよね。親しき仲にも礼儀あり。緩急自在な言葉で豊かな人間の会話を楽しみたいと、私は考えているのですが、いかがでしょうか?

そうそう、英語だと敬語がないと言うけれど、確か目上の人には婉曲表現 would 、should

などの使いまわしがあったはず。

"Do you have lunch with me?"と"would you have lunch with me?"では同じお誘いでも上品さが違うと習ったような。フランス語でも、語尾を濁したり直接呼びつけるような相手の代名詞の語気を弱めることで、婉曲表現になると聞きます。

言葉を介する人と人の距離には、ふぁす仲間は敏感になるのも不思議ないですね。

「なっきー、そんなこと考えてメールしてるの?おっかない」とざわめきが立ってましたが、これは一種の職業病なのかもしれないと、帰り道考えてました。

デリケートな相談の場面では、一言の重みを相手は致命的に受けて帰られるので、言葉の吟味を瞬間的に慎重に行う習慣がついています。できるだけ的確に事実を理解して受け入れてもらうからといってありのままに伝えるとショックが大きすぎるということもあります。

過不足なく、しかも相手に受け止められる柔らかな表現をいつも心がけているために、少々過敏になっているのかもしれません。

今回は精神分析理論のフロイトとユングの「無意識」の説明をまとめて発表してもらいました。「まとめる」ことや「伝える」ことの難しさを担当のゆーみんも実感されたかと思います。

アトリエでこうしたチャレンジをしてもらうのも、「わかっていると思っていること」を伝えようとすると難しいという体験学習を大事にしていきたいと思います。

今年度の勉強会タイプのアトリエは終了しました。無意識と意識について、しばし学生に戻って学んでいただけたら幸いです。

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コメント

些細な言い間違いやミス、単なる物忘れ?的なエピソードも、
なっきーに「分析」されると、裏の裏へと何だかちゃんと
説明がついてきて、さすが…というのと、「無意識の意識化」
の持つ意味を考えさせられた、濃いアトリエでした。
 「他人に、自分の無意識の部分を見られているかもしれない
ということを意識している」というなっきーの言葉にちょっと
はっとさせられました。「あー、自分もたぶん人から◯◯に
見られているんだろうなぁ…」とは思うことはありますが、
そこで止まるのでなく、それを意識しておくことで自分の分析
が習慣化されて、さらに自己理解が深まる、自分に気づき易く
なるということなのでしょうか。

敬語の使い方も、“主婦”しているとなあなあになっていて、
よれてシワシワになったシャツを着ている気分になります…。
外に出て行く(しかもちょっと緊張するくらいの場所へ)こと
で、刺激を受ける必要性を最近かなり痛感します。

丁寧な言葉を使っていて、逆に「お固い」と敬遠されてしまう
ことを気にして、ちょっとくだけてみたり、親しみを持って
ほしいと思って話しかけても、そこにはやはり上下関係(
親しき仲にも〜)が存在します。「くだけ加減」の使い方も
難しいです。

楽しかった?怖かった?
アトリエ・プシケーには、きわものっぽい魅力がいつもありますね。話している私も、どっちへ話が行くのか、本当はどきどきしています。

学校の管理職の方や、社会教育の先駆者の方々と会議をしていると、丁寧な言葉で話し合っているのでに、どっと笑うような非常に質の高いユーモアにふれて、「こんな風に嫌味なく、言葉もきれいなジョークを言えるようになりたいなあ」といつも思います。

そういう人と出会える場所にどんどん出て行ってもらいたいなあと、思っています。ちょっと緊張するくらいのね!

また一緒に勉強していきましょうね。

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