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一人の人として・・・

教師と生徒の関係って不思議だ。

例えば、教師が心無い言葉で生徒を傷つけたとして、怒った生徒が教師を殴ったら、「対教師暴力」になる。

じゃあ、生徒は何を言われても先生だから我慢するべきなのか?

暴力で解決するのはいけない、話し合うべきだ。言語的に未熟な子どもは手が出やすい。が暴力はいけないので、まず謝らせる。

傷つく自尊心を持っている子どもは決して謝らないから、平行線になる。

こんな葛藤はかなりある。

支援体制を作っていくときに課題となる指導と支援の関係も似た問題を抱えている。指導とは教師の言葉に従わせることだと誤解されている。その指導内容が理不尽なものであったとしても、教師の指導ゆえに従わなければならない。

なんだか違うよねと、話し合いをしたことがある。

生徒指導とは、生徒が自ら行動を改めようと思えるように接することであって、隷属させることではないと私は言った。

もちろん親子関係でも同じだ。力で抑えることは虐待なのだ。子どもが自分で自分を律することができるようにすることが躾なんだ。

だから学校教育の指導と、発達支援は同じ縦軸で動けるべきはずなのだ。

また、それは、子どもの言いなりになることなんかでは全然ない。言い分は受止めつつも、大人として取るべき態度や、理想を教えていくことが教師なり親なり子どもを育てるものの務めであろう。

そこに敬愛の念がなければ指導も指示も入らない。愛着がなければ子どもは言うことは聞かないのだ。「この人のいうことだから聞こう」これは情緒的なつながりだ。

昔、教師が「おい、お前、こっち来い。」と声をかけた生徒が暴れて、仲裁にはいったことがある。そこでは、「まず、おはようと、言うのが大人じゃないの?」と言うと、それからその先生は変わった。もちろん先生が変われば子どもは変わる。

「服装違反では入れないよと、校門で止める。これはルールだから。でもそれで返したらだめだ。入れないよと言って出して、自分も出て、話をするんだ。それが生徒指導の教師なんだ。」とベテランの先生。生徒はなついて、困ったときはその先生を頼る。

まず、「おはよう。」「元気にしてる?」それから「何その髪の毛、うるさそう」と指導すればよいだけのことだ。

自信のない教師は高圧的な態度を取る。余裕がないと粗暴な口を聞く。マイノリティの生徒ほど、その言葉に傷つくものなのだ。

教師である前に、あなたは一人の人ではないのか?

親子でも同じ。一人の人として言ってはいけないことは言ってはいけない。「あなたなんか、いなきゃよかったのに。」とか「他の兄弟の方がかわいい。」とか・・・

一人の人として向かい合うって、そんなに難しいことではないはずなんだ。

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