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フォーラム「私の常識・非常識」

こんばんは、いちです。

フォーラム「私の常識・非常識」に参加された方々、お疲れ様でした。
会の模様を簡単に、レポートしたいと思います。
箕田公民館に8名が集まり、大いに盛り上がりました。

何が”常識”で、何が”非常識”なのか?!

他所からやってきた嫁集団は、この地方独特の言い回しや方言、地域の習慣などに、まずはカルチャーショックを受け、場所が違うと色々違って戸惑う…そんな話から始まりました。
しかしそういった違いは時間が経つとやがて慣れてくることも多く、「地域が違うから」と思えば、受け入れることは比較的易いのかも知れません。

ではそれとは別に、そもそも「人としてどうなの?!」と感じたようなエピソードがないかどうかを出し合ってみると、公共の場で、他所の子どもがふさわしくない行動をしている場面に出くわした、という話。

注意しない親、その周りにいる注意しない大人、注意できない大人、見て見ぬふりの人、思わず注意してしまう他人の自分…。
「こんな場面、皆さんならどうしますか?」の参加者の問いかけに、一瞬その場が言いよどみました。
一体どんな態度が正しくて、どんな態度が間違っているのでしょう。
「これは絶対違うよね」と言えることもあるけれど、じゃあその境界線は?と聞かれると、それはとても曖昧で微妙なものなのでしょう、みんなで話し合っても、これが正しいという答えはでません。
一見同じ様な態度をとる人たちも、その心の奥で何を思い、その行動を取っているのかは、聞いてみなければわかりません。
きっとそれぞれに違うことでしょう。

子どもどうしのお友達付き合いでも、口を出したくなる自分は過保護なのか?何も言わない親は、ほったらかし過ぎ?標準はどこなの?
そういう家のお子さんたちと、どう接したらいいのだろう?そういう親たちと、どう接したらいいのだろう?とみなさん悩んでおられました。

場所が違うと色々違う、という話が初めに出ました。
それと同じで、人が違えば色々違う、と考えて捉えることができれば、他人に振り回されることは少なくなり、自分が少し楽になれるのかもしれませんね。
人は皆、それぞれが違う考え方の中で育ってきていて、違う考えをもつ、と。

そしてその、人が持つ考えの広さを、深さを、失敗を繰り返す中で自分達大人も学び、子供たちにも見せていくこと、出来る限りで伝えていくこと、話し合ってみることが大事だね、という思いも語り合いました。

もしも世の中に自分一人しか存在しなければ、そこには常識も非常識もなく、ただ自分が「する」こと、それが全てですね。
人の中で生きるからこそ、常識か、非常識か、ということが気になる。
他人と自分を照らし合わせるからこそ、他人に恥じない常識人として生きたいと思うのだと、あたりまえの様で、しかし実はとてもすごい気付きもありました。

学ぼう、振り返ろう、省みようという気持ちさえあれば、人は他人からたくさんのことを教えてもらうことができるということですね。
いつでも自分の枠の中だけで考え、決めつけているのでは、この世界にたった一人で生きていることと、なんら大差ないでしょう。
お互いの存在する意味。
他人を通して、自分を顧みることを、私たちはこうした勉強会の中で、是非続けていきましょう。

人が違えば考え方が違う。
ふぁすの中でもそれはきっと同じです。
一人一人を細かく見ていけば、みんなそれぞれに違って、だからこそ、一つの答えが簡単に出てきません。
しかし、物事を感じる感覚が、それ程大きく違い過ぎないことと、違いをどうにかして認めたい、話をとにかく聞いてみようという態度があることが、この場を作っているのだと思います。

ですからふぁすの活動に集まって話をすると、やっぱりそうだよね!ということが多いですが、一人一人がそれぞれの生活拠点へと帰って日々を過ごすと、「あれあれ…?」と思うことが積もってくるでしょう。
そうなったらまたここへ、その思いを引きずってきて、みんなで話してみましょう、考えてみましょうねと、この居心地の良さに後ろ髪をひかれる思いで、会を終了しました。

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